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一燈照隅-07

一燈照隅
07
著者
ランタン次郎

● 一燈照隅-07

11月「凍った湖」

2022.11.29

あたり一面雪の野原を馬に乗っていたある旅人が、ようやくある家にたどり着き、一夜の宿を求めた。その家の主人は、快く迎え入れ、その旅人がこの家に辿り着いた道を聞いて旅人の無謀さにとても驚いた。主人からその訳を聞いた旅人はその場で卒倒してしまった。何故なら、旅人が雪の野原と思って平気で歩いて来たのは、実はそうではなく、湖面に張った氷上の雪の野原であることを知ったからだ。そこは土地の人なら怖くて通れるような所ではなかった。

この話、旅人はなぜこの危険な湖の上を通ってきたのか。人は自分の周囲の状況、物理的空間を理解し、頭の中でその世界、心理的空間を構築して行動する。
しかしこの旅人の頭の中には落ちたら凍え死ぬであろう湖は存在していなかった。つまり旅人は物理的空間ではなく、自分が感じた情報を過去の記憶などに照らして理解する心理的空間に基づいて行動していたのだ。

かつてヒューマンエラーは、「当事者が不注意だったからだ」とか「そのことに対する意識が低かったからだ」といった、人間の注意力や意識の低さによって引き起こされるという考え方が支配的だった。
日本人は今でもこの考えがヒューマンエラーの中心にあると考える人が多く、また広く受け入れられ、かつ強固であるように思う。
それは安全への意識が高くかつ責任感の強い職業人に多く見られる。責任感の強い人は自罰的傾向も強く、また他人に対しても厳しかったりするから厄介だ。また「責任問題」として本人のみならず、その上位者をも責めることが社会的な慣例であったりする。政界も似たことが起きたりする。

しかし、心からの詫びを入れ、丁寧な始末書を書き、上司も頭を下げるだけでは将来のヒューマンエラーは防げない。また起きたニューマンエラーの瞬間だけに注目して予防策を作ったとしても万全ではない。熟練者でも状況認識が正しくなければ、その「適切な判断」は誤った行動を導き出す。見えない事実、知らない事象をどう捉えるか。福島の原発事故、梨泰院の群衆事故などを見れば明らかだ。

小生も薬局開設者であったことから、重大なヒューマンエラーが起きないよう多くの時間を費やしたが、薬剤師会で担当した仕事からさらに貴重な経験を得ることができた。前述の話も医療安全の仕事で関わっていた時に教えを頂いた河野龍太郎先生の著書から引用させて頂いた。先生の話から心理的空間と物理的空間の間には一致しない多くの湖があることを気付かされた。

その話のなかにビデオデッキの時間が合わせられないマゴマゴした「コボちゃん」のおじいさんの話が出てくる。最近、あちこちに設置され薬局にも置き始めたセルフレジ。自分は出来るとたかをくくっていた小生もそろそろコボちゃんのおじいさんに近づいてきたのか、後ろで待つ人達が気になり始めている。読者の中でそのような経験がある方は、是非一読をお勧めする。自分を責めなくてもいいのだと安心することが書いてある。

https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/87517